私が神から祝福された時は、当時宅配ドライバーであった私は早朝の荷物の積み込み作業中の一番慌ただしい時でした。お前を祝福するという声が聞こえてきた時、一瞬何が起こったのか理解できず驚きと困惑が入り混じったような状態になり、作業しながら何度も自問自答し少し冷静になった時ようやく今の声は神様からだということに気づき驚きました。そして色々な事が頭を駆け巡りましたが一番期待したのがアブラハムのように裕福になるかもしれないという思いでした。なぜなら当時は私は既に世間で言うところの負け組に分類され恐ろしく貧乏で、そしてお金の面で苦労するその生活に少し疲れていたからです。ただこの点に関し少し自己弁護させていただくと決して自堕落故に貧乏になったわけではなく自分で信じた道を進んだ結果こうなったってしまったというものでした。しかしその後私は世界一の大富豪となりました。神は不思議な力を持ってイエス・キリストの再臨日を私に示してくれたからです。そしてそれを世に示す事で一介の貧乏人である私は世界の名だたる大富豪を抜いて堂々一位の長者となりました。しかしこの様な事を書くと世間の人は私の様を見てお前のどこに金があるのかと嘲笑うでしょう。確かにその通りです。私の実際の金銭面は何も変わらず依然として人生の負け組に分類されているからです。しかし私は聖書を知る事で、神は私の負け組という不名誉を裏返しそして命の書に名前を書き込みそして諸々の報酬をも天の口座に振り込んで下されたということを理解できました。本当に驚くべき事です。
誠に恐れ多い事ですが、主が私に示して下されたその啓示は間違いなくサタンの世の終焉を告げるものであると思います。即ち新しい世界が始まる狼煙のようなもので、古い時代はその役目を終え聖書で預言された新しい神の時代が始まろうとしているのではないかと思います。その礎石となるのが残りの者と言われる144000人です。彼らは古い時代が終わる前に聖別され、彼らは主の心を継承する者であり、そして真に自由な者であり、そして真のエクレシアに所属する者であり、そして主の思いを分担する者であると言えます。しかしなぜ主は私を新しい時代の長子とし下さったのか。私を知る人なら百人中百人は能天気なお前が神に選ばれるなんてありえないと言うでしょうし、事実そういう嘲がありました。しかし世間は変わりました。なりよりキリスト教不毛の地と言われる日本でもイエス・キリストを知る人がとても増えたという事実です。そして他の国々でもそれが起こっているそうです。勿論この因果関係は私が勝手に述べているだけのものですが、私自身はその日が単に私の妄想日ではない事を示せたと思っているので因果関係はあると思っています。ただ誤解されたくないので敢えて書きますが、私は有名人になりたくてこのような記事を書いているわけではありません。私はむしろ逆のタイプの人間です。それに私はクリスチャンを自称していますが伝道者ではありませんし神学校にも教会にも全く縁のない人間です。しかし私は主から黙示録を解いてみよと促され、また竹細工を通して聖徒を巻き直せということも示されたので覚悟を決めてそれをやっている次第です。ここで言うそれというのが私が祝福された理由を考えた時唯一思い当たる節なのですが、しかしそれは私を負け組に叩き落としたサタンと言えるもので、しかしとても大事にしてきた気持ちでもあり、そしてイエス・キリストそのものでもあると思っています。
ここから恥ずかしながら一つの参考として今までの私の歩んできた道を少し多めに書きたいと思います。なぜなら、144000人はパウロの述べ伝えた信仰の義を通して選ばれるからです。
私が座右の銘としきたのは、知的好奇心を満たす生き方をするというものです。これは大学生の頃何かの本を読んだ時感銘を受けた生き方ですが、そもそもは当時から今でも大ファンですが尾崎豊に感化されていたというのが大きかったと思います。故に私はベルトコンベアで運ばれる人生だけは送りたくはありませんでしたが、大学生になった時それ自体がベルトコンベアに乗った事を意味したのでそこから大きなジレンマが始まりました。つまり大学生になった時から人生の紆余曲折が始まったわけですが、大きく言えば悩みながらも初志貫徹を貫き倒れそうになりながらもこれを守るよう努めて来ました。
私を聖書へ導いたフラットアースへの興味は大学受験の頃まで遡ります。その当時高校生の頃、諸々の事情で就職するか大学に進学するかの二者択一となっていました。一番進みたかった道は職人の世界でしたので私にとって大学進学は妥協の産物でしたが、進学すれば時間的な余裕ができると思い結局親の意向である大学進学を選択し大嫌いな受験勉強を始めることにしました。日本はその当時バブルの末期でしたがまだ裕福な時代でした。専攻は物理学にしようと決めました。この物理学は就職に対してはどちらかと言えば不利な専攻でしたが、これは親に対する密かな反抗であり、また自分の興味ある分野をより実証的に証明できるのではないかとばかげた発想を持っていた為です。その当時の興味というのは世界の七不思議的なものやUFOやら日本の古代史等です。その中で特にイスラエルの失われた十支族と日本との関係になぜか強く惹かれ並々ならぬ興味を持ち以後追い続けてきました。それで受験の為の物理の勉強をはじめた訳ですが、その中で地球と宇宙に関する理論体系には少し疑問を感じました。しかし教科書に載っている事なのでそのかすかな疑問を押し殺したわけですが、その小さな棘は喉に刺さったままになっていたようで、後に航空自衛隊に入隊するきっかけの一つになりました。
大学生になってやはり大学は学問の府ではなかったということを知った時、ある程度分かってはいました本当にがっかりしました。勿論他の大学は知らないので何とも言えないところはありますが大きくは違わないと思います。しかも自分の入学した大学は偏差値では低い方だったので将来の到達地点も見えたわけです。故に単位取得の為の勉強が苦痛以外の何ものでもありませんでした。毎年及第点ぎりぎりで年を重ねどうにか卒業できましたが、愚かにもまだ現実にきづかず大学院に進学すれば学問ができると思い行く事にしました。しかしやはり同じで結局私は6年間大学に通い修了証書を手にしましたが、それに何の意味も見出せず学費を払ってくれた親にただ申し訳ない気持ちでした。大学からはむしろお前みたいな怠け者は卒業させないと言ってくれた方がまだ救われたと思います。私はただ自分の興味ある分野を高度な知識を持つ先生方に投げつけながら研究をしたかっただけでしたが、大学という組織はそもそも違う役目を持っているようです。しかし大学の講義の中で唯一真面目に受けたものがありました。阪大を定年退官後に来られていた望月和子先生の講義です。今は既にお亡くなりになっていますが、先生は物性物理の分野で名を知られていた方で性格的には子供のように純粋でしたが切れ味鋭い剣のような舌を持っていました。とにかくズバズバと急所を刺してきました。その中で今でも刺さったままの一振りがありそれが私のその後の人生に大きなウェイトを占めるに至りました。その一振りとは「真理は頭を岩に打ち付け頭で岩を割るような覚悟で探せ」というものでした。すごく重みがありました。それくらいしないと真理は決して見つからないよという意味ですが、その教えを受けて以来これが私の思考の基礎となり何事も先入観を全て取り去って考える癖がつきました。そしてそれが後の最適化理論の興味へと繋がり今の聖書研究はそれを元にしています。
大学院を修了した後研究者の道は諦めました。かと言って就職するのも気が引けたのでそこで思いついたのが航空自衛隊に入隊する事でした。一番の理由としては自分の気持ちを強制的にリセットしたかったということですが、二つ目としては職人以外では戦闘機パイロットにもなりたかったということ、三つ目としては大学受験以来の疑問であった地球が本当に丸くて自転しているのかということを確かめたかったからでした。そこで思い切って二年契約の一般隊員として入隊しました。後年地連の方と話をしたとき私の他にも院卒で自衛隊を一般で入隊した人が日本全国で五人位いたそうです。その内一人は東大の人と聞きました。同志がいるものだと思わず笑ってしまいましたが、徴兵制度の無い日本ではそれぐらい珍しいコースだったわけです。新兵教育が終わった後配属されたのが北陸にあるとある救難隊で仕事は飛行管理というものでした。その赴任地では先任の諸先輩方々には大変よくしてもらい、また貴重な話もきけたりで今でも感謝しています。また特にメディックの方々は選ばれし人々で憧れの的でした。
訓練で時々飛行機に乗せてもらっていたのですが、そのワクワク気分と共に私が常に気にしていたのは地球が丸く自転しているかどうかでした。そして飛行管理という業務を通しても私が得た結論は、地球は丸くなく自転もしていないというものでした。なぜなら全くそのことの補正が入っていないからです。勿論まだ私の心の中には自分の思い違いがあるかもしれないというものも残っていました。つまり国がそんな嘘をつくはずがないという思いです。故にそのことはずっと心に閉まっておきましたが十数年後フラットアースを知った時、本当にバットで後頭部を殴られたような衝撃だった訳です。と同時にこのことに疑問を持っていた人が沢山いた事がとてもうれしかったです。
それから隊長に年度末前に突然呼ばれて、お前は娑婆にでて学歴を生かして働いた方がいいんじゃないかというような事を言われました。その真意は不明でしたが敬愛する隊長からの言葉でもあり、またある意味自衛隊入隊の目的も達成していたので私はそれを受け入れることにしました。就職活動はウェブサイトに就職情報を集めたものがあるのを思い出し、今みたいにスマートフォンがない時代ですので、通販でノートパソコンを買いプロバイダーと契約し当時持っていた携帯電話にはモデムがついていたのでダイヤルアップで基地内の宿舎からネットに繋げ活動していました。そこで目に止まったのがコンピューターシミュレーションという文字でした。その会社の規模は小さかった(社員3名)のですが面白そうだったので応募してみた所、面接にきませんかという返事を社長様から頂く事ができました。私は正直驚きました。私は自衛隊に行く事で人生の落伍者のようでしたので興味を持ってくれた事が不思議でした。そして東京まで面接に伺い社長にお会いし話すうちに少し納得しました。社長は飛行機が好きで大学では航空工学を専攻していたとのことでそれで航空自衛隊に所属する私に目が止まったということでした。また会社の事も色々話して下さいまして、元々は社長が所属していたリクルートの科学情報システム部が解散した時に独立して設立した企業との事でした。解散に至った理由が所謂リクルート事件だそうです。そしてその科学情報システム部はスパコンを持っていたとのことでそれを使い当時珍しかった有限要素法による構造解析のソフトを動かし企業向けのコンサルをしていたとのことでした。そして独立するときにその中の一つのソフトの日本法人となり業務を引き継いだということです。私は自衛隊を一年で除隊しその会社にお世話になりました。そのソフトは非線形問題を解く事を得意とするフランス製でした。故に時々オフィスに本国のフランス人やまたドイツ支社からはドイツ人が来ていました。その当時はまだ外国人が珍しい時代でしたので初めてヨーロピアンを知り色々と見識が広がり本当にいい経験でした。そしてその中のある一人と気が合いまして、彼はフランス人でしたが初めて会った時の自己紹介では自分はケルト人だと言ってきたので少々びっくりしました。そしてケルト人は日本の自然崇拝と同じ文化を持っている等々と話してくれましたが、私はケルト人と日本人が似ているという伝説があることを知っていたので初めにびっくりしたわけですがそれがまんざらでもないのだということを知りました。後年彼は日本に暫く常駐することになりましたが、共通の趣味がバイクだったこともありよくツーリングに出かけました。
このソフトは主に自動車の衝突安全問題を解く事に使われていたのですが、故に自動車会社の研究部門にはよく出向き業務のサポート等をさせて頂きました。その頃は衝突安全問題が大きく社会で取り上げられていた時代で、フルラップやオフセットクラッシュの答えがコンピューターの計算で出てくるということが凄かったわけですが、計算機の能力が上がるに従いその精度というものが次の焦点となってきました。その流れで行き着いたのがパラメーターという概念の導入と複数計算によるデータマイニングです。即ち統計的な手法によってより精度を高めようというものです。そこで重要になってくるのがプロセスの自動化という仕組みでした。今で言うならウェブサイトの情報を自動的に収集するbotみたいなもののことですが、このようなソフトがあると自動的にパラメーターを変更してデータを取得できるし、また最適化アルゴリズムを実装すれば逆に答えに近づくようにパラメーターを決める逆解析が楽に出来るわけです。勿論逆解析の場合には後からそれなりの理由を考える必要があります。
そのような思いを強く持っていた頃突然そのような自動化・最適化プロセスを構築できるソフトを売る会社からうちに来ないかとの声が掛かりました。一応そのような自動化の仕組みを実現できるソフトは先のフランスの会社でも試験的に作っていましたが、既に製品として世にあることは知りませんでした。その企業は台湾人がアメリカで起こした企業の日本法人でこれから日本で大きく羽ばたいていこうという所でした。悩んだ末やはり好奇心を抑えられずそちらにお世話になることを決めました。そして私を拾ってくれた社長も快く送り出してくれその後も何のわだかまりもありませんでした。しかしこの転職した会社で学んだ最適化技術全般が後年ヨハネの黙示録を解く大きな助けとなりました。
このソフトは非常に面白かったのですがやがて壁に打ち当たりました。なぜなら所詮はシミュレーションだからです。どんなに時間を掛けて計算モデルを作りそして何百回と計算し最もらしい答えを得たとしてもその時だけで終わるからです。私は元々職人になりたかったので実際に作ったものが手元にないのは本当に寂しかったわけです。そして会社自体もアメリカンナイズされたビジネス中心主義的でしたので、それに答えようとがむしゃらに働いていた結果体を壊してしまいました。これは私自身が悪かった訳ですがポジティブシンキングでひたすら前に進むのは間違いであると気づかされました。また精神も病みそうになった時、それなりの給料も頂いていましたが、いずれ帰らないといけない長男でもあったので退職して九州に戻る決意をしました。
九州に帰ってからは、二社ほど経験しましたが独立したいと強く思うようになりソフトウェアの開発を計画しフリーになりました。それは先の自動化・最適化ソフトの汎用版的な位置付けのもので特にサーバーサイドを強化したブラウザーベースのGUIを持つものでした。しかし、資金も乏しくなり生活費だけは賄おうと思い始め始めたアルバイトが宅配ドライバーでした。理由は単純で時給が少し高かく、かつ体を動かせ、そして夕方からの勤務だったからです。しかし実際宅配の仕事を初めて直ぐにとんでもない業界であることは理解できました。一言で言えば人間の剥き出しの地がぶつかり合いしのぎ合う世界というような所でした。故に暫くしてもうウンザリしてしまい転職しようと思いハローワークに行った時出会ったのが竹細工でした。これはハートに突き刺さるような衝撃的な出会いでした。これで食べていけたら最高だと思いました。私は元々職人とくに大工職人になりたかったわけですが、この竹細工だと自分の思いを最大限にぶつける事ができるしリアルな物としても残るのでこれだと思いました。そう思い始めたら一気に竹細工の方に心が傾きました。そもそもソフトウェアの開発は惰性だったからです。私の住む別府には竹細工の公的な学校があり先の出会いとはその生徒募集のポスターが貼られていたことなのですが、そこでは給付金を貰いながら2年間学べるというものでした。しかし私は年齢的に条件を満たさなかったので他を探すと別府市竹細工伝統産業会館が主催する別府市民を対象とした竹細工教室というのが無料であることを知りそこに応募することにしました。そして運良く通う事ができるようになりその教室にお世話になりました。そこは基礎的な事を五年間かけて教えている所でしたのである意味私には合っていました。またその教室は週一回でしたが教室の終了時刻が都合よく宅配のアルバイトの前だったので、宅配の方は将来の作家生活を夢見て辞めるのを止めて我慢して続ける事にしました。それからの日々は今思えば修行と言えるようなもので、竹細工は楽しい修行でしたが宅配は苦しい修行でした。しかしこの苦しい修行のお陰で大きなものを得たと思っています。
日本の宅配サービスは本当に素晴らしものだと思います。しかしそのサービスを担う人々にとっては地獄の労働です。私自身もこの仕事に従事するまではこのあまりにも不条理な世界がある事を知りませんでした。勿論このような仕事は宅配だけではない訳です。誰かが言っていましたが日本はお金があれば本当に楽しく暮らせる国だとの事です。それは想像するに本当だと思います。しかしそれを支えているのは現実的に薄給で奴隷のように働く人々であるわけです。
この仕事を続ける中で自分の心の中に変化があったことははっきりと認識できています。その変わったという瞬間も覚えていまして、宅配というものはそもそも荷量がそれなりに多い訳ですが、例えばその一つの荷物に関して何かトラブルが起こるとそれ以降の荷物の配達は止まる訳です。故になるべくトラブルが起こらないようにしないといけないし仮にトラブルが起きたとしてもなるべく早く解決に持っていきたい訳です。これをどうすればよいのか考えた時に出て来た答えが謙虚な心とへり下るという気持ちを強く持って仕事に臨むというものでした。実際これらの気持ちを持ちながら仕事をすると種々のトラブルは格段に減りました。それを幾つかあげますと、例えば接客マナーとしては配達時の挨拶、電話での話し方、時間指定が守れなかった時の謝罪、誤配してしまった時の謝罪、代引きの正確性を示す事等であり、運転のマナーとしてはスピードよりも安全重視が基本ですが、道の譲り合いや、駐車スペースの選択、歩行者優先等です。それらを初めは意識的に行なっていましたがやがては心に定着し無意識に出てくるようになりました。このとき自分が変わったと自覚するに至った訳です。勿論その運送会社ではそういう安全講習もしていましたがいつも切ない気持ちになりました。なぜなら現場レベルでドライバーと非ドライバーの給料を比較した時、確かにドライバーの給料方が高い訳ですが次々と説明される責任の重さを鑑みた時全く釣り合わないと感じるからです。ただ現実問題として薄給の人々にとってはその僅かな差が大きな差なわけですのでこの不条理の中に閉じ込められてしまうわけです。
フラットアースを知ったのはそのような頃でした。youtubeでたまたま海外で流行っているとの情報を得て、夢中で寝食を忘れて貪るように調べました。その中で出会ったのが聖書でした。私は失われた十支族と日本との関係には高校生以来ずっと興味を持っていましたが、本気でその渡来を研究していた訳ではなかったので実際聖書を知らなかった訳です。それから聖書を知るようになりフラットアースだけではなく人間とは何か人生とは何かという根本的な事を少しずつ知るようになり、そしてイエス・キリストが全人類の未来の鍵を持つ存在である事を悟りました。それからイエス・キリストに忠誠の誓いを立てた時不思議な経験をした訳です。その時はその不思議な肉体的現象が体調不良によるものだとしか考えていませんでした。
竹細工の方は五年間の教室が終わった後今後は自分でやりたいようにやっていこうと決心しました。作家として独自性を持つ事はとても重要ですし早く独立したかったからです。そんな中自分で拘りをもって開発していたものがほぼ完成した時、職人として独立しようと思い資金を蓄える為宅配のアルバイトを辞め個人事業主としてフルタイムで別の会社の宅配の仕事を始めました。そしてそこで働いている時に神から祝福を受けた訳です。数年後ある程度お金が貯まったので、今度は竹細工と仕事を半々でやっていこうと思い時間的に融通が効く別の宅配の現場へ移りました。その時に今度は不思議な女性の声に導かれ主の再臨日が示されさらにヨハネの黙示録が解けた訳です。そしてこの黙示録の解読の多くの部分は私が培った最適化の考え方を元にして解いています。また聖書はオブジェクト指向のプログラミング言語の考え方に近いとも思っています。基本的にはある事象に対し制約条件を満たすパラメーターを見つけるという考え方で、即ち制約条件が聖書に記述された諸々の神の言葉で、そして導き出されるパラメーターが事象の真理となるわけです。勿論その定義された真理が人間レベルでは本当に正しいか否かは分からない訳ですが、もし当人が聖霊より力を受けているのであれば、話は変わってくると思います。彼は主の力の一部をオーバーロードし普通の人間ではなくなっているからです。
私は自衛隊に入隊以来ベルトコンベアーを降りました。そして私は自分の思いのまま知的好奇心を満たすよう生きてきました。そして自分をなるべく貫いた事により社会的地位や名誉や財産などは得られませんでしたが、主はそういう私を祝福して下さいました。勿論この私の半生はほんの一例にすぎず144000人へと至る道は様々だと思います。